
※登場人物は全て仮名です。
冬のオフィスで、私は震えていた。
四十二歳、独身、営業職。今日も取引先との商談がある。スーツの下には極厚タイツを二枚重ね、さらにヒートテックのレギンスまで履いている。おかげで下半身はまるで大根のようだ。鏡を見れば、パンツスーツがパンパンに張り詰めて、まるで「仕事一筋で生きてきました」と全身で主張しているようだった。
「桜井さん、今日も元気ですね」
後輩の美咲が、すらりとした脚で颯爽と横を通り過ぎる。彼女のパンツはセンタープレスが美しく入った、細身のテーパードパンツ。私の着膨れコーデとは雲泥の差だ。
「美咲ちゃんこそ、寒くないの?若いから平気なのかしら」
そう言いながら、私は内心で思っていた。きっと彼女は我慢しているんだ、と。おしゃれな人は多少の寒さなんて気にしない、そういうものなんだ、と。
美咲は不思議そうな顔をした。
「え?これ、裏起毛パンツですよ。めちゃくちゃ暖かいです」
「…はい?」
私の思考が三秒ほど停止した。
裏起毛パンツ。その単語は知っていた。でもそれは、部屋着とかスポーツウェアの話だと思っていた。まさか、あんなにスタイリッシュに見えるパンツが裏起毛だなんて。
「最近SNSで流行ってるんですよ。『きれいめ 裏起毛パンツ』で検索したら、めちゃくちゃ出てきます」
美咲はスマホを取り出して、私に画面を見せた。
そこには、信じられない光景が広がっていた。とろみ素材の美シルエットパンツ、センタープレスが入った上品なテーパードパンツ、ワイドシルエットでも野暮ったくない洗練されたデザイン。それらがすべて、裏起毛。しかも価格は三千円から五千円程度。
私は何も言えなかった。
この三年間、私は毎朝格闘していたのだ。極厚タイツを履くために十分早く起き、レギンスを重ね、それでもパンツのシルエットが崩れないように祈りながら出勤していた。
そんな苦労は、必要なかったのだ。
その日の帰り道、私はスマホを握りしめて検索していた。
「きれいめ 裏起毛パンツ」
出るわ出るわ、無数の商品が。レビューを読むと、どれも絶賛の嵐だった。
「冷え性だけど、これなら会社でも恥ずかしくない!」 「見た目は普通のパンツなのに、めちゃくちゃ暖かい」 「もう普通のパンツには戻れません」
私は震える手で、三本のパンツをカートに入れた。ネイビー、ブラック、グレー。全部センタープレス入りのテーパードタイプ。
翌々日、パンツが届いた。
恐る恐る履いてみる。するとどうだろう。すっきりとした美シルエット。でも内側はふんわりと起毛していて、まるで毛布に包まれているような暖かさ。これまでの着膨れ地獄は何だったのか。
鏡の前で、私は泣いた。
嬉し涙ではない。悔し涙だ。なぜもっと早く気づかなかったのか。なぜ三年も、いや、もしかしたら五年も、こんな素晴らしいアイテムの存在を知らずに生きてきてしまったのか。
翌日から、私の人生は変わった。
オフィスに颯爽と現れる私を見て、同僚たちは驚いた。
「桜井さん、なんか雰囲気変わりました?」 「スタイル良く見えますね」
私は得意げに答えた。
「裏起毛パンツなの。きれいめのやつ」
すると、四十代の先輩・田中さんが食いついてきた。
「え!それ、どこの!?私も冷え性で困ってて!」
「SNSで『きれいめ 裏起毛パンツ』って検索してみてください。人生変わりますよ」
田中さんは即座にスマホを取り出した。そして三分後には「これいいわね」「これも素敵」と呟きながら、通販サイトを漁っていた。
翌週、田中さんも裏起毛パンツデビューを果たした。
「桜井さん、本当にありがとう。もう普通のパンツには戻れないわ」
私たちは固く握手を交わした。裏起毛パンツ同盟の結成である。
それから私は、会う人会う人に裏起毛パンツの素晴らしさを説いた。
ママ友ランチでも、美容院でも、取引先との雑談でさえも。
「今日のパンツ、実は裏起毛なんですよ」
最初は「へえ、素敵ですね」と言ってくれていた人たちも、次第に反応が鈍くなっていった。
そして決定的な事件が起きた。
大事な商談の席で、私はまた言ってしまったのだ。
「こんな寒い日でも、このパンツなら大丈夫なんです。裏起毛で暖かいし、でも見た目はきれいめで。SNSで流行ってるんですよ」
取引先の部長は困惑した顔で頷いた。
「…はあ。で、今日の提案内容なんですが」
商談後、上司に呼び出された。
「桜井、最近パンツの話ばっかりしてるって聞いたぞ。仕事に集中しろ」
私ははっとした。確かに、ここ二週間、私の頭の中は裏起毛パンツのことでいっぱいだった。朝起きたら裏起毛パンツ、会社でも裏起毛パンツ、寝る前も裏起毛パンツのレビューを読んでいた。
これは、まずい。
その夜、私は反省した。
裏起毛パンツは確かに素晴らしい。冷え性の女性にとって、まさに革命的なアイテムだ。でも、それを人に押し付けすぎていた。
翌日、私は美咲に謝った。
「ごめんね、最近パンツの話ばっかりして」
美咲は笑った。
「いいですよ。でも桜井さん、本当に楽しそうでしたね」
「楽しかったわ。人生でこんなに何かにハマったの、久しぶりかも」
美咲は優しく言った。
「それって、素敵なことだと思います。大人になると、そういうワクワクって減りますよね」
確かにそうだった。四十二年生きてきて、最近何かに夢中になったことがあっただろうか。仕事と家の往復で、毎日が過ぎていくだけだった。
でも、裏起毛パンツとの出会いで、私は変わった。些細なことかもしれない。でも、ちょっとした発見が人生を楽しくするということを、私は思い出したのだ。
それから私は、適度に裏起毛パンツを楽しむことにした。
もう人に押し付けることはしない。でも、聞かれたら喜んで教える。そして何より、自分自身が毎朝鏡の前で「今日もスタイル良く見える」と思えることが、何よりも大切だと気づいた。
冬のオフィスで、私はもう震えていない。
きれいめの裏起毛パンツを履いて、颯爽と歩く。下半身は暖かく、見た目はすっきり。これ以上の幸せがあるだろうか。
四十二歳、独身、営業職。人生で初めて、パンツに人生を変えられた女の物語。
そして今日も私は、SNSで新しい裏起毛パンツを検索している。次はワイドパンツに挑戦しようかな、なんて考えながら。